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聖歌は生歌

聖歌は生歌

典礼聖歌の成立

典礼の刷新から『典礼聖歌』(合本)に至るまで
 
【前史】
 1962年から1965年にかけて開催された、第二バチカン公会議で発布された『典礼憲章』によって「典礼の国語
化」が開かれるまで、カトリック教会の典礼のことばは、一部の例外を除いて、原則、すべてラテン語で行われていま
した。それは、カトリック教会がヨーロッパだけのものであった時代には、ほとんどの国のことばが何らかの形でラテン
語を古典語としており、言語の統一で、思想や文化もひとつに結ぶという意味では有効でした。しかし、教会が、ヨー
ロッパ以外の地域、アフリカ・東南アジア・極東・中南米などへ宣教するようになると、文化・習慣の違いから、どうし
ても今までの環境では対応できなくなってきていることを感じた、時の教皇ヨハネ23世は、教会の風通しをよくし、
aggiornamento=現代化、すなわち、現代の状況に適応した宣教ができるように教会を刷新しようと考え、この公会
議を開催されたのです。
 ここで、大きく刷新されたものが、典礼=教会の公の礼拝・祈りでした。先に書いたように、それまで、原則、すべて
ラテン語であったものが、各国語で行えるようになった(『典礼憲章』36§2)のです。加えて、それまでの教会の考
え方は、キリスト教化=ヨーロッパ化ないしはローマ化であり、音楽・美術・動作など、すべてがローマ式でしたが、こ
の刷新によって、福音に反するものでない限り、典礼の精神にふさわしいものは典礼の中に取り入れることをも宣言
したのです(『典礼憲章』37および『現代世界憲章』58参照)。
 しかし、それ以上に第二バチカン公会議が『典礼憲章』で求めたものは、典礼における全信者の「行動参加」でした
(同憲章11、19、30など)。それまでの典礼は、司祭がささげ、信徒はそれに消極的に与る、眺めるものと思われ
ていました。ですが、本来、典礼は「わたしたち-奉仕者と聖なる民-」(第一奉献文)、つまり、そこにいるすべて
の人が神に賛美と感謝をささげるものだからです。典礼に国語化の道が開かれた根本は、この、全信者による「行動
参加」にあったことを忘れてはなりません。
 このような、典礼の刷新を受けて、日本のカトリック教会も、典礼の国語化に着手しました。しかし、ヨーロッパはそ
れまで100年以上、その準備としての司牧典礼運動があり、刷新の精神が十分に行き渡っていましたが、日本の
教会は、公会議の開催さえ寝耳に水だったことから、さまざまな困難がありました。それにもかかわらず、当時の司
教団は勇気を持ってこの問題に取り組み、現在の下地を作ってくださったのです。
 
【成立に向けて】
 このような、第二バチカン公会議の典礼の刷新がもたらしたものは、典礼の国語化だけではありませんでした。典
礼が国語化されるということは、すなわち、典礼で用いられる式文も国語によるものが作られます。そして、式文その
ものを歌う、教会音楽も国語によるものを作る必要に迫られます。このようにして誕生したものが『典礼聖歌』ですが、
『典礼聖歌』が誕生するまでには、まだまだ多くの準備を必要としました。まず、どのような「教会音楽」が必要なの
かを考えなければなりません。ヨーロッパの教会音楽は、大きく四つの段階に分けられるでしょう。
1=全会衆が参加していた時代、主に、グレゴリオ聖歌成立まで
2=教役者(聖職者)・修道者中心の時代、主に、中世・ルネッサンス
3=職業音楽家中心の時代、主に、バロック以降
4=司牧典礼運動の時代、グレゴリオ聖歌の現代化と共唱ミサ(ただしカトリック教会のみ)
 当初、ローマ帝国でキリスト教が認められたときには、信者すべてがわかる言葉として、ラテン語が用いられていま
したから、聖歌もすべての人が意味を分かり、こころからの祈りとして歌うことができたでしょう⇒1の時代。
 しかし、ラテン語が生活言語でなくなるにしたがって、一般の信徒・会衆はラテン語が分からなくなり、さらに、歌い
方も聖歌自体も複雑になってきたので、聖歌はだんだんと、教役者・修道者しか、あるいは、訓練された聖歌隊だけ
でないと歌えなくなってきます⇒2の時代。
 その後、教会音楽が大きく様変わりしたのは、宗教改革の頃です。ルターによる会衆賛美歌の普及の一方で、貴
族の宮廷や大聖堂などでは、そこで雇われた音楽家が作曲・演奏に携わります⇒3の時代。
 バッハ、モーツァルト、ハイドンといった、現代でも有名な作曲家の作った教会音楽は、このような時代背景の中で
作られました。このような、教会音楽は、大きく・財力のある教会では演奏が可能ですが、小さな教会では、とても演
奏することはできません。信者の「行動参加」を第一に考えた『典礼憲章』は、117条でグレゴリオ聖歌の規範版に
ついて「小さな教会で使用するため、簡単な曲を集めて出版することは有益である」、122条で教会音楽全般につい
て「真の教会音楽の特徴を備え、大きな聖歌隊で歌えるようなものだけではなく、小さな聖歌隊に適し、信者の集ま
り全体の行動的参加を促進するような曲を作曲しなければならない」と述べています。『典礼聖歌』は、これらの『典
礼憲章』や、『典礼音楽に関する指針』の規定に従って作られているのです。
 ことばについても考えてみましょう。典礼を国語にすることで、どのようなことばを用いるかも検討しなければなりま
せん。口語にするか文語にするか。文語といってもどの時代の文語なのか。日本で言えば、万葉時代から明治・昭
和初期に至るまで、千数百年の開きがあります。典礼憲章実施評議会が1969年に発布した『典礼憲章の翻訳に
関する指針』では、各国で用いることばについて、具体的に示唆されています。「ことばとしては、一般に使われてい
ることば、すなわち『こどもや教育程度の低い人々』(前述したパウロ六世の演説=筆者中:典礼文翻訳者会議出席
者に対する1965年11月10日の演説)をも含めて、大多数の信者が日常使っていることばを選ぶべきである。しか
し、それは悪い意味での『俗語』ではなくて、『崇高な実在を表現することのできる』(同上)ことばでなくてはならな
い。なお、特定の単語や思想の聖書的またはキリスト教的な正しい意味を理解させるためには常に解説や教育を行
う必要がある。ことば自体は特別な文学的訓練を受けなければ分からないようなものであってはならない。原則とし
て典礼文は教育程度の低い人も含めて、だれもが理解できるものでなければならない。」(15)現在の『ミサ典礼書』
の式文も、それに基づく『典礼聖歌』も『カトリック聖歌集』や『賛美歌』(54年版)と異なり、ほとんどが口語なのは、こ
のような理由によります。
 とはいえ、国語の聖歌があまりにも教会の伝統から離れたものでも困ります。『典礼憲章』ではこのことについて、
「健全な伝統が保存され、しかも正当な進歩への道が開かれるように、綿密な、神学的、歴史的、司牧的研究が典
礼の各部分の改定に先立って行わなければならない。(中略)また、すでに存在している形態から、新しい形態がい
わば有機的に生ずるように、慎重に配慮する必要がある」(23)と述べており、教会音楽については、典礼憲章実施
評議会が1967年に発布した『典礼音楽に関する指針』の中で、やはり、「国語文のための旋律の中では、司祭と役
務者の固有の部分は、単独で歌うものにせよ信者会衆と一緒または対話の形式で歌うものにせよ、特に重要であ
る。これらの作曲にあたっては作曲家は、この目的のために用いられているラテン典礼の伝統的旋律が国語文のた
めの旋律を暗示することができるかどうかを考慮すべきである」(56)と述べています。「ミサの式次第」を見ていただ
ければ分かりますが、奉献文の「栄唱」は、グレゴリオ聖歌のそれを日本語のイントネーションに合わせて用いてい
ます。
 一方、ヨーロッパ以外の文化圏における、教会への伝統音楽の適応についても、同じく『典礼音楽に関する指針』
では、「独自の音楽伝統を持っている地域、とりわけ宣教地域における教会音楽の適応を研究するためには、専門
家は特別な準備を必要とする。それは聖なる事がらをその地域の人々の精神、伝統、特色ある表現に巧みに調和さ
せることだからである。この仕事に携わる人は典礼と教会音楽の伝統ばかりでなく、自分たちが奉仕をささげるその
民族の言語、民衆の歌、独特の表現についてじゅうぶんな知識をもたなければならない」(61)と述べており、日本
のように、独自の伝統文化・音楽伝統を持つところでは、教会音楽に携わる人々は、自分たちの音楽文化(それは、
上流階級のものではなく、一般民衆の)も研究するように求められています。
 なお、これについてはヨハネ23世の前任者、ピオ12世も、宣教地で宣教する宣教師たちに、その国民にとって親
しみ深い歌詞と旋律で歌う聖歌を持つことができるように努力することを勧められていたそうです。
 このような、背景の中で、日本の司教団は1964年にまず、「全国典礼委員会」を設置、1965年に『ミサ典礼に関
する司牧指針』を公布し、従来のラテン語規範版『ミサ典礼書』にしたがって、典礼文の改定に望みますが、多くの批
判・要望を受けて、全国規模のアンケートを実施します。その後、1969年4月6日に礼部聖省(現秘跡典礼省)から
新しい『ローマ・ミサ典礼書』が発行され、同年11月30日から発効することになりました。「全国典礼委員会」も急遽
これに従った新たな典礼文の翻訳を行い、現在の『ミサ典礼書』が完成したのです。

【典礼文の作成と『典礼聖歌』分冊の刊行』】
 ところで、ローマ教会をはじめ、聖書の周辺世界を発祥の地とする教会では、古代から典礼式文は、原則として歌
唱=朗唱していました。歌唱=朗唱という不自然なことばを用いましたが、要は、簡単な旋律を付けて歌う、というも
のです。ローマ教会の聖歌の母とも言えるグレゴリオ聖歌がそうであったのと同様に、新しい日本の『ミサ典礼書』の
式文も、基本的にすべてを歌唱=朗唱できるようにする必要がありました(『典礼音楽に関する指針』16、28-31
参照)。そこで、「全国典礼委員会」の命を受けた、委員会秘書の土屋吉正神父は、日本のカトリックで唯一の音楽
学校であるエリザベト音楽大学に赴き、学長のゴーセンス神父に協力を求めますが、「ここではその仕事はできな
い」(おそらく、ここにはそれにふさわしい人材がいないという意味)と言われます。ゴーセンス神父は続けて「東京に
高田三郎という作曲家がいるから、それと一緒に仕事を進めるように」(高田三郎『典礼聖歌を作曲して』13ページ。
先の引用も)と土屋神父に語り、土屋神父は東京へ戻ると高田三郎氏宅を訪れ、これからの典礼の刷新の仕事に協
力を求め、高田氏もそれに応じ、ここに、典礼の刷新の精神に基づく、日本の祈りの聖歌が誕生する準備が整いま
す。
 ところで、ゴーセンス神父が高田三郎氏を紹介したのは、氏が、1956年に発足した『公教聖歌集』の「聖歌集改
定委員会」の委員として『カトリック聖歌集』の編纂にも携わり、特に、委員会からの委嘱を受け、「浄土宗の経文、礼
歌、詠歌」の「旋法的、旋律的特徴を取り入れた」(前掲書311および313ページ)「やまとのささげうた」を作曲した
ばかりではなく、それ以前にも、ローマのサンタ・チェチリア協会の委嘱により、「催馬楽、神楽歌その他の旋律的特
徴を取り入れている」(前掲書311ページ)『雅楽の旋法による聖母賛歌』を作曲したり、東京音楽大学作曲科の研
究科(現東京芸術大学大学院)終了作品として「山形民謡によるバラードとフーガ」を作曲して、日本の伝統音楽の
研究にも熱心であったことや、さらには、長年にわたって初台教会のレデンプトール修道院でグレゴリオ聖歌の伴奏
を行い、1957年には、グレゴリオ聖歌の研究のために、フランスのソレム修道院に赴き、グレゴリオ聖歌についても
造詣が深かったことを、ゴーセンス神父は知っておられたのでしょう。高田氏自身も、ゴーセンス神父が自分の作風
をよく知っておられたであろうことは、『典礼聖歌を作曲して』の13ページに書いています。
 前項の最後から、少し話が戻りますが、このようにして高田三郎氏は、典礼の刷新による日本語聖歌の作曲に携
わることになりますが、それと同時に、聖歌は「ことばと結ばれて荘厳な典礼の一部をなし、必要欠くことのできない
部分を成している」(『典礼憲章』112)事から、1967年に「全国典礼委員会」の中に発足した「国語典礼文起草委
員会」の委員、「全国典礼委員会」の教会音楽常任委員にも任命され、「典礼聖歌編集部」の編集委員として、典礼
聖歌の作曲、および、公募された作品の選定にも当たることになります。

 1969年11月30日の新しい『ローマ・ミサ典礼書』の発効を前に、これらの委員会では、早急に、国語の典礼文お
よび聖歌を作成する必要に迫られました。特に、急がれたのは「聖週間の典礼」、時課の典礼(「教会の祈り」)やグ
ラドゥアーレ(答唱詩編)で用いる詩編とその作曲、また「ミサ曲」(ミサ賛歌)などでした。これらの作業は膨大で、一
朝一夕には仕上げられるものではありませんでしたが、「国語典礼文起草委員会」「典礼聖歌編集部」のメンバーは
片時も惜しまず作業を続け、まず、1968年3月に「典礼委員会秘書局」から『典礼聖歌第一集』が、続いて翌69年
には『典礼聖歌第二集』が発行されます。
 第一集の「あとがき」には「この『典礼聖歌』は、礼部聖省の『典礼音楽に関する指針』に基づいて編集され」とあ
り、先にもあげた『典礼音楽に関する指針』、さらには『典礼憲章』が基礎にあって編集されたことを忘れてはならない
でしょう。『典礼聖歌第三集』の「あとがき」には「引き続き、第四集、第五集と刊行されてゆく予定になっており、広く
一般のかたがたから、新しい典礼の精神にそった、よい歌詞や曲を募集しています」とあり、すでに、公募が始まって
いたことがわかります。公募に際しての基準は、高田三郎氏が『典礼聖歌を作曲して』(340ページ)に書き残してお
り、
一、ことばが先にあること。(中略)ことば(多くは聖書のことば)を主体として、その日本語をできるだけ生かす旋律。
二、共通語のアクセントに大体合わせる。
三、大変稚拙なものは除く。
 の三つです。
 特に、一については、替え歌の不合理さを指摘し、さらに、「調子のよい旋律で、その旋律の作曲者がまったく予想
していなかった内容を歌っている不合理さからも脱却したいを考えてのことでした。」(前掲書340ページ)と、作曲者
らしい考えも示しています。
 『典礼聖歌』の刊行は、予定より遅れながらも徐々に進みます。これまでは、徐々にレパートリーを増やしてゆきま
したが、第七集の「あとがき」には、「なお第八集には、これまでの総索引を加え、合本の編集も今年中に終わる予
定です」と、はじめて「合本」の作成に触れられています。この総索引を合本の編集は、第八集には間に合わず、第
九集以降に持ち越されます。この第八集は「公募の際に応募された148曲の中から12名の審査員によって選曲さ
れたものを中心に編集され」(『典礼聖歌第八集』「あとがき」)ました。12名の審査員は以下のとおりです(敬称略、
50音順)。
 貴島清彦(作曲)  金田一春彦(国語・アクセント)  佐久間彪(司牧)  関戸順一(司牧)
 高田三郎(作曲) 高橋重幸(聖書)  土屋吉正(典礼)  寺西英夫(言語)  野村良雄(美学)  
三島聖司(国語)  水島良雄(教会音楽)  水谷九郎(言語)
 また、第八集の「あとがき」後半には、「分冊」ということばも登場し、今まで順次刊行されてきたものを「分冊」、新
たにまとめるものが「合本」と呼ばれるようになります。この『典礼聖歌』の「分冊」の刊行は、続く第九集(1978年発
行)で終了し、並行して「合本」の編集も始まります。第六集が発行された1973年には、すでに『教会の祈り』(時課
の典礼)が発行され、「分冊」が刊行され始めたときと、詩編のことばも修正が加えられました。「合本」発行で、詩編
のことばも改訂されることになり。それまで「分冊」を購入してきた教会や信徒が、「合本」と併用する場合の便宜も考
えた上で、第九集には「別冊補遺」が付録として挿入されています。そして、いよいよ1980年、それまでの「分冊」
に変わり、『典礼聖歌』(合本)が発行され、現在の『典礼聖歌』がほぼ出揃います。

 【名称について】
 ところで、今まで触れませんでしたが、それまでのカトリック教会の聖歌集には『公教会典禮聖歌集』(会は旧字
体)、『公教聖歌集』、『カトリック聖歌集』など、必ず「カトリック」を現すことばが入っていたのですが、『典礼聖歌』に
は入れられていません。これはなぜなのでしょうか。実は、「カトリック」ということばが、特定の教会を指す固有名詞
として用いられるようになったのは宗教改革以後で、プロテスタント教会に対抗する意味で、それまで、「信仰宣言」
で「普遍の」という意味で用いられていた「カトリック」(ギリシャ語の「カトリケー」)を固有名詞として用いるようになり
ました。しかし、第二バチカン公会議では、『エキュメニズムに関する教令』も出されたように、「教会は本来ひとつで
あり、思想、文化の相違から分かれたキリストの教会をひとつにしよう」という「教会一致(エキュメニズム)」運動が始
まり、現在でも、さまざまな努力が続けられています。
 各教派の教会で歌われる『聖歌』『讃美歌』もさまざまなものがありますが、教会のもっとも伝統的な祈りの歌は、
なんと言っても『聖書』のことばを歌うものです。特に『典礼聖歌』は「詩編の歌」を中心として、ほとんどが『聖書』のこ
とばを歌うものです。そこで、「典礼聖歌編集部」では将来の教会一致を考え、エキュメニカルな礼拝でも、他の教派
の公の礼拝(典礼)でも『聖書』のことばを歌う歌として用いられることを願って、あえて「カトリック」という固有名詞を
つけず、『典礼聖歌』と命名したのです。
 また、『典礼聖歌』はラテン語の規範版である『ローマ・ミサ典礼書』、『グラドゥアーレ・ロマーヌム』、『グラドゥアー
レ・シンプレクス』と同じ内容、すなわち、典礼式文=『儀式書』そのものであることから『典礼聖歌』なのです。その意
味では、『カトリック聖歌集』や『讃美歌』などにある「会衆賛美歌」よりは、内容も祈りのこころもはるかにグレゴリオ
聖歌に近いことも確認しておきたいと思います。ちなみに、第二バチカン公会議前の典礼では、会衆が『カトリック聖
歌集』の歌をうたっている場合でも、司祭は、決められた「入祭唱」や「キリエ」などを別に唱えていないとミサは無効
だったのです。

 【将来に向けての現在の努力】
 このように、長い準備期間を経て、『典礼聖歌』(合本)は完成しました。しかし、これは、新たな始まりの一歩であ
り、終わりではありません。第九集の「あとがき」には「『典礼聖歌』合本出版後も、別な形で新しい聖歌を発行してゆ
きたいと願っています。」とありますし、合本の「序文」にも、当時の典礼委員長の長江恵司教は「なお本書の発行は
仕事の完成ではなくて、大きな未来への第一歩であることを確認しておきたいと思います。」と書かれています。その
後、1983年には「典礼音楽研究会」が編著者となり、中央出版社(現サンパウロ)から『カトリック典礼聖歌集』が発
行されました。さらに、2004年には、オリエンス宗教研究所より、2000年に帰天した高田三郎氏の作品を中心とし
た『典礼聖歌 合本出版後から遺作まで』も刊行されています。しかしながら、『カトリック典礼聖歌集』は、『典礼聖
歌』の意図したエキュメニズムへの配慮に不足し「カトリック」という固有名詞を復活させたことは大変残念で、遺憾で
す。また、一部の詩編の曲では、司教団の認可を受けずに『聖書 新共同訳』を用いていることも問題です。なぜなら
ば、『典礼聖歌』も含め、カトリック教会の聖歌の楽譜は、歌や音楽の楽譜ではなく、典礼式文・儀式書であり、歌詞
についても司教団の認可が必要だからです(『典礼憲章』36§3および§4)。
 これらによって、第二バチカン公会議直後の典礼の刷新にともなう『典礼聖歌』はひととおりの節目を迎えました
が、第二バチカン公会議は『典礼憲章』の第4条で、「さらに必要であれば、それらの典礼様式が健全な伝統の精神
に従って、注意深く全面的に再検討され、現代の状況と必要に応じて、新しい活力が与えられるように希望する」と、
典礼の刷新は常に現在の問題であることを明記しています。しかし、それには同じく『典礼憲章』の第23条で述べら
れているとおり、「健全な伝統が保存され、しかも正当な進歩への道が開かれるように、神学的、歴史的、司牧的研
究が典礼の各部分の改訂に先立って行わなければならない。そのうえ(中略)最近の典礼刷新、および、すでに各
地に与えられた特典から得られた経験が考慮されなければならない。(中略)また、すでに存在している形態から、
新しい形態がいわば有機的に生ずるように、慎重に配慮する必要がある」のです。
 現在の『典礼聖歌』は、先にもあげたように、また「精神と歌唱法」でも取り上げますが、当時すでに、そして、現在
でも教会の祈りの聖歌の母である「グレゴリオ聖歌」の精神と祈り方を模範とし、さらに、日本の伝統音楽の要素も
取り入れたものです。ある、司祭のことばを借りて敷衍すれば、グレゴリオ聖歌を日本語と日本の教会音楽に翻訳し
たものが『典礼聖歌』なのです。その意味では、現在の『典礼憲章』の祈りのこころとそれを深く品位ある祈りにする
歌い方を学ばずに、次世代の『典礼聖歌』を作ることは、『典礼憲章』の第23条の「すでに存在している形態から、新
しい形態がいわば有機的に生ずるように、慎重に配慮する必要がある」ことにも反しています。その一報で、歴史に
後戻りは決してありません。教会は、常に現代に適応した宣教と典礼を目指して、第二バチカン公会議を開いたので
すから、再び、昔に戻ることもありえないのです。
 『典礼聖歌』を品位ある深い祈りとして深めるためには、『典礼憲章』23条で言われている「神学的、歴史的、司牧
的研究」が不可欠であるばかりではなく、その音楽性、グレゴリオ聖歌の伝統、日本の伝統音楽の要素も知る必要
があることも書き添えておきたいと思います。

【合本による変更】
 「初期」の分冊、第一集、第二は暫定的に、1969年の『ローマ・ミサ典礼書』発行前に作曲されたものが収録され
ていて、この『ローマ・ミサ典礼書』によって刷新された典礼で改訂された部分については、その後の「分冊」あるい
は「合本」で、改訂された典礼に対応した聖歌に置き換えられました。現在では、資料として残された分冊にあるもの
ですが、参考のために、以下に書き添えたいと思います。なお、『典礼聖歌第六集』までの詩編をはじめ『聖書』のこ
とばは暫定訳でしたが、『教会の祈り』の刊行とともにここで用いられているものにこれに統一され、『典礼聖歌』(合
本)では、『典礼聖歌第六集』までの暫定訳もこちらに置き換えられ、これを機に、詩編唱の楽譜の書式も変更・統一
されています。

分冊のページ 曲名           表題
 ⇒合本における変更されたもの
 1        見よ 十字架の木     聖金曜日 十字架の除幕
     ⇒ 331 見よ キリストの十字架
 2        主をたたえよう       旧約朗読後の間唱(出エジプト15:1-3)
     ⇒  79  神よ あなたは わたしの力 
 2~3      イスラエルの家      旧約朗読後の間唱(イザヤ5:1-2)
 3        イスラエルの神       旧約朗読後の間唱(申命記32:1-4)
 5        アレルヤ唱         聖土曜日(『カトリック聖歌集』からの転用) 
 30       みことばを聞いて      旧約朗読後の間唱(ハバクク3)
     ⇒ 旋律を 145~146 父よ あなたこそ わたしの神 に転用
 31       主よ よこしまな人から  旧約朗読後の間唱(詩編140)
     ⇒ 旋律を 113~117 主は豊かな あがないに満ち に転用
 38~41    連願             聖土曜日 洗礼水祝別前
     ⇒ 歌詞を変更 41ページの「神の小羊」は削除

【参考文献】
 第二バチカン公会議『典礼憲章』(サンパウロ 1986 )
 典礼憲章実施評議会『典礼音楽に関する指針』(礼部聖省発布 典礼委員会秘書局 1967 )
 典礼憲章実施評議会『一般指針』(礼部聖省発布 典礼委員会秘書局 1967 )
 典礼憲章実施評議会『典礼文の翻訳に関する指針』(典礼委員会秘書局 1969 )
 典礼委員会典礼聖歌編集部編『典礼聖歌 第一集』(カトリック中央協議会 1968 )
 典礼委員会典礼聖歌編集部編『典礼聖歌 第二集』(カトリック中央協議会 1969 )
 典礼委員会典礼聖歌編集部編『典礼聖歌 第三集』(カトリック中央協議会 1970 )
 典礼委員会典礼聖歌編集部編『典礼聖歌 第四集』(カトリック中央協議会 1971 )
 典礼委員会典礼聖歌編集部編『典礼聖歌 第五集』(カトリック中央協議会 1972 )
 典礼委員会典礼聖歌編集部編『典礼聖歌 第六集』(カトリック中央協議会 1973 )
 典礼委員会典礼聖歌編集部編『典礼聖歌 第七集』(カトリック中央協議会 1975 )
 典礼委員会典礼聖歌編集部編『典礼聖歌 第八集』(カトリック中央協議会 1976 )
 典礼委員会典礼聖歌編集部編『典礼聖歌 第九集』(カトリック中央協議会 1978 )
 典礼司教委員会 典礼聖歌編集部編『典礼聖歌』(あかし書房 1980 )
 高田三郎『典礼聖歌を作曲して』(オリエンス宗教研究所 1992 )
 西脇純「インカルチュレーション-日本における典礼聖歌刷新の歩みに寄せて-」『カトリック神学会誌第3号』
  (日本カトリック神学会 1992 )〔本項はこの論文に負うところが大きい〕  


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